この生死は、仏の御いのちなり | 人生入門

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哲学書読書計画
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この生死は、仏の御いのちなり

 「この生死は、仏の御いのちなり」という言葉をここ何日かずっと噛み締めている。浄土教ではなくて、道元禅師の言葉だけど、まさに大乗仏法の真理という感じがする。大峯顕の本に「我々が如来に生かされているのは明々白々の事実ではありませんか」と書いてあったが、まさにそう思う。僕は「俺」が死ぬと思っていたが、その「俺」は仏の御いのちだった。仏の無限の命そのものが「俺」だった。

たとえわたしが仏になることができても、光明に限りがあって数限りない諸仏がたの国々を照らさないならば、わたしは決して仏になりません。


たとえわたしが仏になることができても、寿命に限りがあって、はかり知れない遠い未来にでも尽きることがあるならば、わたしは決して仏になりません。


 阿弥陀とは、アミターユスというサンスクリット語の訳語で、無限の光、無限の命という意味である。無限の光、無限の命に帰命して生きる。

 ニーチェ主義者っぽい女とチャットをしていて、南無阿弥陀仏を信じるとどうなるの?と聞かれたから、浄土に行ける、と答えた。そうすると、その女は宗教はそういう背後世界を説いて、現実逃避をさせて、生きる気力をなくさせるから嫌い、と言った。
 そうではない。無限の光、無限の命である仏そのものが、自分と一体であることに気づくこと、これは、善も悪も生も死も全部超えた彼岸である。善悪生死の彼岸である。「仏の御いのち」は、善も悪も生も死もぶっ続きで肯定する、太陽よりも明るい肯定である。

 この生死は、仏の御いのちなり この言葉で、自分の中である種の転換があったように思う。無限の中に生きているという宗教感情が生まれた。この無限に全部任せればええんや
 南無阿弥陀仏。無限の命そのものである仏が「お前を絶対に助けるぞ」と僕の口から出ているのが南無阿弥陀仏である。尊いなあ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 YouTubeで1000万回ぐらい再生のボカロ曲で「命に嫌われている」という曲がある。どうしようもなく安直な歌詞で全然好きじゃないのだが、現代の若者に広がるニヒリズムは確実に写し取っている。
お金がないので今日も一日中惰眠を謳歌する
生きる意味なんて見い出せず、
無駄を自覚して息をする。
「寂しい」なんて言葉でこの傷が表せていいものか
そんな意地ばかり抱え今日も一人ベッドに眠る

少年だった僕達はいつか青年に変わっていく。
年老いていつか枯れ葉のように誰にも知られず朽ちていく。
不死身な身体を手に入れて、一生死なずに生きていく。
そんなSFを妄想してる

命に嫌われている。
結局いつかは死んでいく。
君だって僕だっていつかは枯れ葉のように朽ちていく。
それでも僕らは必死に生きて
命を必死に抱えて生きて
殺して あがいて 笑って 抱えて

生きて、生きて、生きて、
生きて、生きろ。


 普通に日本で生きていて、この歌詞を否定するのは無理だと思う。
生きる意味なんて見い出せず、
無駄を自覚して息をする。

 生きる意味を見出せなくても、南無阿弥陀仏がある。無駄を自覚しても南無阿弥陀仏がある。
命に嫌われている。
結局いつかは死んでいく。
君だって僕だっていつかは枯れ葉のように朽ちていく。

 南無阿弥陀仏がある。永遠の命から、僕を呼ぶ声がする。僕らが命に嫌われているわけがない。世間全員に見捨てられても、永遠の命は俺を見捨てない。枯れ葉のように朽ちていって、浄土に行くのだ。この生死は仏の御いのちなり

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