ノスタルジー
スカイプで女の子と話していて、結局は死ぬから何もかも無駄だと強弁していたら、「でも想い出になってずっと残るじゃん」と言われたから「その思い出もいずれなくなる。神様のメモ帳にでも書かれてない限り」と言ってしまったが、よく考えると、ある種の郷愁というのは永遠かもしれない。
ノスタルジーと神はある意味で似ている。ノスタルジーは、過去を理想化していて、神は未来を理想化している。矢印の向きが反対なだけだ。どちらも理想化していることには変わりない。思い出は美化される。そして思い出は自分の中で永遠になる。
本を読んでいて、阿弥陀仏は自分の生まれるずっとずっと前から浄土を準備してくれていたことを思うと「ホッ」とするというくだりがあった。自分の生まれるずっとずっと前、永遠の過去に浄土を完成してくれて、そのときからずっとずっと僕を見守ってくれている。日本人は浄土へ行くことを、「浄土に帰る」という表現をすることがある。お母さんの子宮にいたときよりもっと前、お浄土ができたとき、それは永遠のノスタルジーな気がする。永遠の思い出に帰る。
天国というと未来という気がするけれど、お浄土というと、懐かしい感じがする。
ノスタルジーと神はある意味で似ている。ノスタルジーは、過去を理想化していて、神は未来を理想化している。矢印の向きが反対なだけだ。どちらも理想化していることには変わりない。思い出は美化される。そして思い出は自分の中で永遠になる。
本を読んでいて、阿弥陀仏は自分の生まれるずっとずっと前から浄土を準備してくれていたことを思うと「ホッ」とするというくだりがあった。自分の生まれるずっとずっと前、永遠の過去に浄土を完成してくれて、そのときからずっとずっと僕を見守ってくれている。日本人は浄土へ行くことを、「浄土に帰る」という表現をすることがある。お母さんの子宮にいたときよりもっと前、お浄土ができたとき、それは永遠のノスタルジーな気がする。永遠の思い出に帰る。
天国というと未来という気がするけれど、お浄土というと、懐かしい感じがする。
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