まあ結局人それぞれだよね | 人生入門

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今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
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まあ結局人それぞれだよね

僕は「まあ人それぞれだよね」というのが大嫌いだったのだが(それを言ったら終わるから)、それに反論することもできなかった。人それぞれの主張があって、それを尊重しなければならないというのは、抗えないモンだと思っていた。仏教の原理を知るまでは。

思想とは「すべて出来上がったうえでの話」でしかない。仏法とは「すべて出来上がる以前」のことである。————沢木興道

禅は、「思想」以前を追及する。思想以前の「現実」を追及する。ここに一つ、「人それぞれだよね」を乗り越える道があると思った。「現実」は一つしかないから。人それぞれの「現実」があるんじゃないの?と言われるかもしれないが、人それぞれのものは「思想」である。自己と他者と宇宙がぶっ続きになった生命そのもの。まあそれは修行した人にしか分からない。禅はいいな。

我必ず聖に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫ならくのみ

これを始めて読んだとき、「え、こんな簡単なことでよかったのか」と思ってしまった。私は聖人ではない。彼は愚か者ではない。共に「凡夫」なのだ。凡夫とは、煩悩の炎に焼かれて、正常な判断、正常な思考ができなくなったバカモンのことである。そして、仏以外はみんなバカモンなのである。僕もあなたも正しくない。「みんな違ってみんなダメ」ただそれを知るのは仏だけである。みんな間違っている。言葉は嘘を吐く道具だ、というのが僕の信条。

煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は 
よろずのこと みなもって
そらごとたわごと まことあることなきに
ただ念仏のみぞまことにておわします

煩悩の固まりであるような私たち、火のついた家のようにはかない世界にでは、
全てのことは、みな
嘘偽りばかりで、なにひとつとして真実はないのに、
ただ念仏だけが真実なのである。—————親鸞

ただし僕の中には「本当のもの」を求める欲求が吹き荒れている。全てが嘘、というのは少し物足りない。念仏はまことかもしれない、と思っている。多分まことなんだ。みんな嘘しかつかない世の中で、念仏だけがまことなんだ。阿弥陀仏の慈悲だけがまことなんだ。仏は嘘をつかない。ただしそれは他を排除することではない。無量寿経の41願から48願にとかれている通り、阿弥陀仏は「他方国土の諸菩薩衆」にも頑張ってほしいと願われている。そういうところも含めてまことだと思うんだな。

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


この詩に対して、アンビバレントな感情を抱いていて、なんでだろうと思っていたが、さっき氷解した。「みんな違ってみんないい」の部分を「思想」ととると、僕の嫌いな「まあ人それぞれいろんな考え方があるよね」になる。「いろんな考え方」は全部バカモンの嘘である。けれど「みんなちがってみんないい」の部分を「生き方」ととると、いろんな生き方、いろんな花の咲かせ方があって、それは素敵だなと思う。人それぞれ、いろんな花を咲かせたらいいと思う。

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