死
初期仏教にコミットしすぎるのやめようと思う。初期仏教の世界観では僕は救われない。小室直樹の宗教原論に「キリスト教は永遠の生命を得る宗教だが、仏教は輪廻から解脱して無になるための宗教」だと書いてあったが、まあその通りである。苦しい苦しい輪廻が「事実」であるミャンマーやスリランカ、タイのあたりでは初期仏教の実践で苦しい苦しい輪廻から解脱するのが喫緊の問題になるのは分かるが、僕は輪廻を信じていないので、輪廻から解脱するという目的を持つことができない。「一切皆苦」というのも理解できない。楽しいこともある。
小欲知足や、気づきなど、幸福な人生を送るためのツールを得たのは大きいが、やはり「無」になるための宗教というのは、僕の求めている救いとは違う。
とするなら、他にどのような宗教があるか。キリスト教や、浄土真宗など、他力系の宗教がある。最近、他力系の宗教でもいいんじゃないかという気がしてきたのも事実であるが、やっぱり少しの抵抗はある。目に見えないから。けれども信じるものは救われるということは、歎異抄などを読むとよくわかる。
他には、臨済宗がある。僕は禅が好きである。禅の悟りは輪廻からの解脱云々ではない。一休和尚は来世などないと言っている。僕が東洋思想に興味を持ったのは荘子がきっかけで、禅は荘子の子供であるので、僕は禅が好きである。白隠禅師は、僕みたいにめちゃくちゃ死ぬのが怖かったんだけれど、なんかを悟ることによって、「死んでも死なない命」を持っていることに気づいたらしい。死んでも死なない命というのは、僕の好きな澤木興道も言っている。在家で禅を実践できるのは、多分人間禅ぐらいしかないので、そこに通うことになるかもしれない。
他。クリシュナムルティ。方法論を否定して、ただ気づき続けること。生き方として、そういうのもアリかもしれない。
小欲知足や、気づきなど、幸福な人生を送るためのツールを得たのは大きいが、やはり「無」になるための宗教というのは、僕の求めている救いとは違う。
とするなら、他にどのような宗教があるか。キリスト教や、浄土真宗など、他力系の宗教がある。最近、他力系の宗教でもいいんじゃないかという気がしてきたのも事実であるが、やっぱり少しの抵抗はある。目に見えないから。けれども信じるものは救われるということは、歎異抄などを読むとよくわかる。
他には、臨済宗がある。僕は禅が好きである。禅の悟りは輪廻からの解脱云々ではない。一休和尚は来世などないと言っている。僕が東洋思想に興味を持ったのは荘子がきっかけで、禅は荘子の子供であるので、僕は禅が好きである。白隠禅師は、僕みたいにめちゃくちゃ死ぬのが怖かったんだけれど、なんかを悟ることによって、「死んでも死なない命」を持っていることに気づいたらしい。死んでも死なない命というのは、僕の好きな澤木興道も言っている。在家で禅を実践できるのは、多分人間禅ぐらいしかないので、そこに通うことになるかもしれない。
他。クリシュナムルティ。方法論を否定して、ただ気づき続けること。生き方として、そういうのもアリかもしれない。
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