7月11日 | 人生入門

人生入門

生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 短歌も書いてますhttps://www.utayom.in/users/9552アフォリズム体解https://note.com/yasurakani信心入門https://anjinsinjjin.hatenablog.com詩入門https://utagoe.hateblo.jp小説 結構頻繁に更新しますhttps://novel18.syosetu.com/n4490gu/哲学書読書計画今まで読んだもの丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス今年と来年中に読むもの西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深再来年中に読むものイタリア現代思想 アドルノ ヤスパース
生と死の問題を解決して人生の門に入る方法を探る記録です 

短歌も書いてます
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アフォリズム体解
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詩入門
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小説 結構頻繁に更新します
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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

7月11日

 なにもかも虚しい。お金と女と知識が欲しいけれどそんなもの50年後には使い物にならなくなっている。
 
 人間が幸せになる方法
 中学生ぐらいまで思い切り遊んで15歳で自殺する 簡単だけどもうおそい
 ドラッグ廃人になって自殺する そこそこ簡単っぽいけど勇気がない
 めちゃくちゃ好きな女と心中する 難しそう
 めちゃくちゃに信仰する これが一番現実味がありそう
 幸せな家庭を作る 難しそう

 最近集中力がないから本が読めない。リチャードーキンスの利己的な遺伝子とシモーヌヴェイユの重力と恩寵をどちらも50ページぐらい読んだ。
 生物学と神秘主義の哲学と聞くと共通性がなさそうだが、僕の見るところ「均衡」という概念がお互いキーワードになっている。
 ドーキンスの言う「均衡」は原子の安定した集合のことだ。山も岩も猫も台風も僕も水も原子の「均衡」しようとする傾向によって固まっている。
 初めに海があった。海には生物の材料が大量にある。離散集合しているだろう。そこに「自らを複製する分子」が現れる。この分子の「均衡」は複製することにある。そしてこの分子が徐々に進化して遺伝子となり、生物という鎧を着る。生物の定義は「自らを複製するもの」だ。そしてぼくたちの遺伝子は現在もこの複製という「均衡」へ向かっている。
 フロイトの快楽原則も「均衡」という傾向へと進む。不快なことが起こると不快ゲージが上昇し、快感があれば不快ゲージが減少する。生物はこの不快ゲージをなるべく下げるように努力をする。
 スピノザの機械論もそうだ。個体は自分の「存在」に固執するために努力をする。この努力が実ると存在ゲージが上昇し、失敗すると存在ゲージが下降する。ここではフロイトの快楽原則と逆向きの方向だが、生物は安定した傾向に自動的に進むという点で共通している。
 マルセルモースの贈与論はその点で興味深い。モースは純粋な贈与はありえないと言う。何かの贈与も巨視的に見ると交換の一部になっているし、なんの返礼のない場合も負い目というある種の贈与が発生する。タダより高いものはないということだ。贈与を受けると負い目ゲージが上昇し、返礼をすると負い目ゲージが下降する。
 このように、人間は「均衡」に向かって動く自動機械だと考えられる。この「均衡」を破壊するのがヴェイユのいう「真空」だ。ふつうは不幸なことがあればその原因を憎むし、贈与をすれば返礼を期待する。しかし僕はある人間から不幸を被っても、その人間を許すことができる。僕はある人間に無償の贈与をすることができる。それを純粋に行うこと。そうすれば自分の中に「真空」ができる。この真空に対して、神の恩寵が与えられる。自分の中に真空を作ること。さすればスクワレン。

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