7月11日
なにもかも虚しい。お金と女と知識が欲しいけれどそんなもの50年後には使い物にならなくなっている。
人間が幸せになる方法
中学生ぐらいまで思い切り遊んで15歳で自殺する 簡単だけどもうおそい
ドラッグ廃人になって自殺する そこそこ簡単っぽいけど勇気がない
めちゃくちゃ好きな女と心中する 難しそう
めちゃくちゃに信仰する これが一番現実味がありそう
幸せな家庭を作る 難しそう
最近集中力がないから本が読めない。リチャードーキンスの利己的な遺伝子とシモーヌヴェイユの重力と恩寵をどちらも50ページぐらい読んだ。
生物学と神秘主義の哲学と聞くと共通性がなさそうだが、僕の見るところ「均衡」という概念がお互いキーワードになっている。
ドーキンスの言う「均衡」は原子の安定した集合のことだ。山も岩も猫も台風も僕も水も原子の「均衡」しようとする傾向によって固まっている。
初めに海があった。海には生物の材料が大量にある。離散集合しているだろう。そこに「自らを複製する分子」が現れる。この分子の「均衡」は複製することにある。そしてこの分子が徐々に進化して遺伝子となり、生物という鎧を着る。生物の定義は「自らを複製するもの」だ。そしてぼくたちの遺伝子は現在もこの複製という「均衡」へ向かっている。
フロイトの快楽原則も「均衡」という傾向へと進む。不快なことが起こると不快ゲージが上昇し、快感があれば不快ゲージが減少する。生物はこの不快ゲージをなるべく下げるように努力をする。
スピノザの機械論もそうだ。個体は自分の「存在」に固執するために努力をする。この努力が実ると存在ゲージが上昇し、失敗すると存在ゲージが下降する。ここではフロイトの快楽原則と逆向きの方向だが、生物は安定した傾向に自動的に進むという点で共通している。
マルセルモースの贈与論はその点で興味深い。モースは純粋な贈与はありえないと言う。何かの贈与も巨視的に見ると交換の一部になっているし、なんの返礼のない場合も負い目というある種の贈与が発生する。タダより高いものはないということだ。贈与を受けると負い目ゲージが上昇し、返礼をすると負い目ゲージが下降する。
このように、人間は「均衡」に向かって動く自動機械だと考えられる。この「均衡」を破壊するのがヴェイユのいう「真空」だ。ふつうは不幸なことがあればその原因を憎むし、贈与をすれば返礼を期待する。しかし僕はある人間から不幸を被っても、その人間を許すことができる。僕はある人間に無償の贈与をすることができる。それを純粋に行うこと。そうすれば自分の中に「真空」ができる。この真空に対して、神の恩寵が与えられる。自分の中に真空を作ること。さすればスクワレン。
人間が幸せになる方法
中学生ぐらいまで思い切り遊んで15歳で自殺する 簡単だけどもうおそい
ドラッグ廃人になって自殺する そこそこ簡単っぽいけど勇気がない
めちゃくちゃ好きな女と心中する 難しそう
めちゃくちゃに信仰する これが一番現実味がありそう
幸せな家庭を作る 難しそう
最近集中力がないから本が読めない。リチャードーキンスの利己的な遺伝子とシモーヌヴェイユの重力と恩寵をどちらも50ページぐらい読んだ。
生物学と神秘主義の哲学と聞くと共通性がなさそうだが、僕の見るところ「均衡」という概念がお互いキーワードになっている。
ドーキンスの言う「均衡」は原子の安定した集合のことだ。山も岩も猫も台風も僕も水も原子の「均衡」しようとする傾向によって固まっている。
初めに海があった。海には生物の材料が大量にある。離散集合しているだろう。そこに「自らを複製する分子」が現れる。この分子の「均衡」は複製することにある。そしてこの分子が徐々に進化して遺伝子となり、生物という鎧を着る。生物の定義は「自らを複製するもの」だ。そしてぼくたちの遺伝子は現在もこの複製という「均衡」へ向かっている。
フロイトの快楽原則も「均衡」という傾向へと進む。不快なことが起こると不快ゲージが上昇し、快感があれば不快ゲージが減少する。生物はこの不快ゲージをなるべく下げるように努力をする。
スピノザの機械論もそうだ。個体は自分の「存在」に固執するために努力をする。この努力が実ると存在ゲージが上昇し、失敗すると存在ゲージが下降する。ここではフロイトの快楽原則と逆向きの方向だが、生物は安定した傾向に自動的に進むという点で共通している。
マルセルモースの贈与論はその点で興味深い。モースは純粋な贈与はありえないと言う。何かの贈与も巨視的に見ると交換の一部になっているし、なんの返礼のない場合も負い目というある種の贈与が発生する。タダより高いものはないということだ。贈与を受けると負い目ゲージが上昇し、返礼をすると負い目ゲージが下降する。
このように、人間は「均衡」に向かって動く自動機械だと考えられる。この「均衡」を破壊するのがヴェイユのいう「真空」だ。ふつうは不幸なことがあればその原因を憎むし、贈与をすれば返礼を期待する。しかし僕はある人間から不幸を被っても、その人間を許すことができる。僕はある人間に無償の贈与をすることができる。それを純粋に行うこと。そうすれば自分の中に「真空」ができる。この真空に対して、神の恩寵が与えられる。自分の中に真空を作ること。さすればスクワレン。
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