人間が非十全な認識しかできない理由
人間精神は身体の観念である。言い換えれば、身体を認識する限りでの神の無限の思惟が人間精神である。ここで身体というのは個体的な統一を保っている「一つ」の身体のことだ。
この限りの神は身体そのものを認識するのではなくて、身体の変様を認識する。身体の変様は身体の刺激と物体の刺激の2つから成り立っている。これでは不純物が混じっているので身体を十全に認識することはできない。物体も同じ。物体の十全な認識を持っているのは、物質に様態化した限りでの神である。
人間身体の各部分に対しての認識もありえない。各部分の十全な認識を持つのは各部分へ様態化した限りでの神である。よって、人間精神は身体も物体も非十全にしか認識できない。
この限りの神は身体そのものを認識するのではなくて、身体の変様を認識する。身体の変様は身体の刺激と物体の刺激の2つから成り立っている。これでは不純物が混じっているので身体を十全に認識することはできない。物体も同じ。物体の十全な認識を持っているのは、物質に様態化した限りでの神である。
人間身体の各部分に対しての認識もありえない。各部分の十全な認識を持つのは各部分へ様態化した限りでの神である。よって、人間精神は身体も物体も非十全にしか認識できない。
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