コンスタティブ/パフォーマティブ | 人生入門

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哲学書読書計画
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丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
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再来年中に読むもの
イタリア現代思想 アドルノ ヤスパース

コンスタティブ/パフォーマティブ

 パフォーマティブ/コンスタティブという概念がある。日本語にすると行為遂行的発話/事実確認的発話という長ったらしい表現になる。どういうことかというと、読んで字のごとくなのだが、行為を遂行する発話と事実を確認する発話の2種類があるということだ。例えば「私は〇〇と結婚します」「約束します」「ごめんなさい」などはパフォーマティブな発話で、「私は歩いている」「鳥が鳴いている」などはコンスタティブな発話だ。ただし、この2つの区別はハッキリと分けることはできない。「この先クマ出没」という張り紙は普通に読めば「この先にクマが出没するので立ち入り禁止」というパフォーマティブ的発話だが、「クマが出没します」というコンスタティブ的発話に受け取られる可能性は常に存在する。この「揺らぎ」をジャックデリダは突いたわけだ。
 僕はこのオースティンの理論を読んだことがない。だからこれぐらいのことしか分からない。でもこの道具的概念は結構便利だったりする。例えば「ツーカーの仲」という日本語がある。これはツーとカーで十全なパフォーマティブ的発話ができるということだろう。僕は、恋愛は恐ろしくパフォーマティブ的だと思う。言語だけではない。含みのある瞳、快活な笑顔、気まずい沈黙、何もかも行為遂行的だ。極めつけは行為中の「やめて」という表現だろう。ここではパフォーマティブとコンスタティブが逆転する。
 今日、朝から嫌なことがあった。元カノのツイッターを見つけてしまった。ここに書くようなことではないとは思ったけれど、外傷はエクリチュールによって反復しなければならない。向こうもそんなこと細やかに書かれるのは嫌だと思うのでざっくり書くと、寝取られた。ちょっと複雑なので事情は省略する。
 めちゃくちゃツラい。電話が繋がった途端に相手を攻撃してしまった。罵倒とかではなくて、僕お得意のネチネチ嫌味を言うアレだ。でも、1時間ほど話したあと、「全部許す。僕に負い目を感じないで欲しい。」と言った。僕は"感情"というものは脳や心に宿るものではなくて、関係性に宿るものだと思う。ハッキリ言ってめちゃくちゃ憎い。でも、浮気されてめちゃくちゃ憎んでる人間⇔めちゃくちゃ憎まれてる人間、という関係性よりは、許してる人間と許されてる人間という関係性のほうが自分のためになると思った。今でもツラいけど「許す」という発話をしたことで、心が軽くなった気がする。人間は言語でできているので、本心じゃなくても関係性を改造したほうがいい。ちょっとツラいけど、時間がすぎるのを待つしかない。
 電話を切る際に「ばいばい、ありがとう」と言われたので、僕も「ばいばい」と言った。僕はふだん「ばいばい」とは言わずに「またね」と言う。仲が良い相手が「ばいばい」と言ってるとやめさせる。本当にバイバイの時に「ばいばい」って言う。普段から伏線を張ってるわけだ。最後にそういうことだったのかって気づいてくれるかな。

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