虚無
虚無というのは、一言で言えば「壁」である。絶対に超えられない、どこまでも広がっていて、上は天まで届いている壁である。人は「向こう側」まで行くことができない。どれだけ「向こう側」へ行こうとしても、どれだけテニスボールを壁に投げつけても、テニスボールは手元へ返ってくるだけだ。虚無という壁へ、「なぜ生きる」というボールを投げても、冷たく打ち返されるだけだ。「死にたくない、死なねばならぬ」という根本矛盾が壁である。どれだけ屈強な科学のドリルを持ってきても、論理の爆弾を持ってきても、壁が崩れることはない。
向こう側へ行く方法が一つだけある。壁をぶち抜く方法が一つだけある。水よく石をうがつ。向こう側からの声を聞き続ける。そうすると壁がぶち抜かれてぶち抜いた水の上に浮かんで、どこへでも行くことができる。
「死にたくない、死なねばならぬ」という根本矛盾がある。まずはそれに気づくこと。僕は虚無を啓蒙しているが、己の身に引きつけて聞いてもらえたことがない。虚無をぶち破るには、基本的に時間がかかる。けれど僕がいくら「お前は死ぬ、一切は無意味だ」と言っても、「それでいい」と言われる。壁の前で力尽きて、それで終わりでいいならそれでいい。
47歳で癌になって死んだ母親の「宗教を持ってる人はいいなあ。死ぬのが大丈夫じゃから」という言葉が忘れられない。
胸の中に根本矛盾を抱えて生きるのは「不自然」だ。生きたいけど、死ぬ、という矛盾を抱えて生きるのは不自然だ。僕は壁がなくなった人生のほうが自然だと思う。
向こう側へ行く方法が一つだけある。壁をぶち抜く方法が一つだけある。水よく石をうがつ。向こう側からの声を聞き続ける。そうすると壁がぶち抜かれてぶち抜いた水の上に浮かんで、どこへでも行くことができる。
「死にたくない、死なねばならぬ」という根本矛盾がある。まずはそれに気づくこと。僕は虚無を啓蒙しているが、己の身に引きつけて聞いてもらえたことがない。虚無をぶち破るには、基本的に時間がかかる。けれど僕がいくら「お前は死ぬ、一切は無意味だ」と言っても、「それでいい」と言われる。壁の前で力尽きて、それで終わりでいいならそれでいい。
47歳で癌になって死んだ母親の「宗教を持ってる人はいいなあ。死ぬのが大丈夫じゃから」という言葉が忘れられない。
胸の中に根本矛盾を抱えて生きるのは「不自然」だ。生きたいけど、死ぬ、という矛盾を抱えて生きるのは不自然だ。僕は壁がなくなった人生のほうが自然だと思う。
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