無常
「無常」の一言で全てが尽きる。浩瀚な哲学書をものにしても、そんなものは無常だ。何にもならない。無常というのは究極的な普遍的真理であるから、どんなものにでも例えられる。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。—————方丈記
散る桜 残る桜も 散る桜————良寛和尚
本当になんでもいい。泡や桜が分かりやすいだけで、今使っているPCも流行った音楽もアイドルグループも家族もパソコンも哲学も宗教も自分も全部無常である。これは僕がオリジナルではないかもしれないけれど、砂浜に絵を描くという比喩が気に入っている。砂浜に絵を描くと、次の日には潮が洗い流している。漣(さざなみ)が浜へ打ち付けて、「形」を消し去ってしまう。全ての表現は、これとスケールが違うだけで、同じことをやっているだけなんじゃなかろうか。数百年後には、誰も芥川龍之介なんか知らないし、芥川賞を盗った人なんて、数十年後には誰も覚えてない。漣(さざなみ)が全てを押し流してしまう。
何もかも虚しくないか。哲学も無常。表現も無常。労働も無常。家族も無常。「無常について考えること」も無常。
昔書いた短歌
「何もかも、何もかも、っていい響き 何もかも終わっていくんだね」
無常は「本質」である。事物の、核の核である。「だからなに?無常じゃん」で全て終わってしまう。
浄土は常住の国といって、無常ではないらしい。無常が全ての虚しさの根拠だとしたら、浄土は全てが虚しくないんだろうか。早く行ってみたい。時間が事物を無化していかない場所なんて、想像もできないけれど。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。—————方丈記
散る桜 残る桜も 散る桜————良寛和尚
本当になんでもいい。泡や桜が分かりやすいだけで、今使っているPCも流行った音楽もアイドルグループも家族もパソコンも哲学も宗教も自分も全部無常である。これは僕がオリジナルではないかもしれないけれど、砂浜に絵を描くという比喩が気に入っている。砂浜に絵を描くと、次の日には潮が洗い流している。漣(さざなみ)が浜へ打ち付けて、「形」を消し去ってしまう。全ての表現は、これとスケールが違うだけで、同じことをやっているだけなんじゃなかろうか。数百年後には、誰も芥川龍之介なんか知らないし、芥川賞を盗った人なんて、数十年後には誰も覚えてない。漣(さざなみ)が全てを押し流してしまう。
何もかも虚しくないか。哲学も無常。表現も無常。労働も無常。家族も無常。「無常について考えること」も無常。
昔書いた短歌
「何もかも、何もかも、っていい響き 何もかも終わっていくんだね」
無常は「本質」である。事物の、核の核である。「だからなに?無常じゃん」で全て終わってしまう。
浄土は常住の国といって、無常ではないらしい。無常が全ての虚しさの根拠だとしたら、浄土は全てが虚しくないんだろうか。早く行ってみたい。時間が事物を無化していかない場所なんて、想像もできないけれど。
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