ゲスの勘繰り | 人生入門

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哲学書読書計画
今まで読んだもの
丸山圭三郎 プラトン アリストテレス エピクテトス デカルト ロック バークリー ヒューム スピノザ ラカン ニーチェ パスカル キルケゴール ショーペンハウアー ハイデガー ウィトゲンシュタイン プロティノス 龍樹 孔子 老子 荘子 クリシュナムルティ マルクス・ガブリエル マックス・シュティルナー ウィリアム・ジェイムズ シオラン ベルクソン ライプニッツ 九鬼周造 カント シェリング 波多野精一 メルロ・ポンティ ニーチェ ヘーゲル マルクス サルトル レヴィナス

今年と来年中に読むもの
西田幾多郎 フィヒテ バタイユ アウグスティヌス トマス・アクィナス パウル・ティリッヒ カール・バルト ガザーリー 清沢満之 曽我量深 金子大栄 安田理深

再来年中に読むもの
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ゲスの勘繰り

 僕の長所は、自己反省が得意なことと(悪く言うと自意識過剰)、人の欠点を見つける事。この2つは密接に関連していて、自分の中の普遍的な悪を凝視することで人の中の嫌な部分も見える。これがただ自己投影しているものだとは思わない。人間は根源的に悪人であるというのはどの宗教の前提でもあるし、それがその宗教を広めるための方便だったとしても、それでも僕は性悪説が正しいと感じる。
 だから僕は物凄く意地悪な目を持った著述家たち、ラ・ロシュフコー、ブレーズ・パスカル、アナトール・フランス、フリードリヒ・ニーチェ、芥川龍之介、原口統三、このような著述家に親近感を覚えるし、共感を覚える。例えば
われわれが敵の不幸を隣れむ心の中には、しばしばやさしさよりも高慢のほうが多分に含まれている。われわれが彼らに同情のしるしをみせるのは、彼らにわれわれの優越を感じさせたいからである。———ロシュフコー

われわれは、われわれの大切な人の死に涙を流しているのだと言いながら、実際はわれわれ自身のために涙を流している。————ロシュフコー

 ゲスの勘繰りという言葉がある。自分がゲスだから、相手にも厭らしい部分があるんだと勘ぐるという慣用句だけれど、まあ、確かにそういう部分はある。さっきあげた全員はゲスだ。そして僕もゲスだ。
 ただし一面の真理はあるだろう。ゲスな部分のない人間なんていないだろう。人間の「原罪」「煩悩」「無明」を凝視する。自分の中の「原罪」を凝視したうえで、相手にもそれをかぎ取る。だからどんどん人間のことを嫌いになっていく。
 これは短所なのか長所なのか分からない。原罪に泣くものは絶望しているけれど、原罪に泣かないものはさらに絶望している。僕はそう思う。絶望していることにすら気づかない絶望。原罪という言葉が強かったら「自己中心性」とか「エゴ」と言ってもいいけれど、そういう部分に鈍感な人は、絶望していることにも気づかないまま死んでいくんだろうな、と思う。人間は全員詩人である、人間は全員哲学者である、という言説と同じように、人間は全員宗教的なのだから。

 自分や他人の長所ばかり見るほうが、幸せになるのは間違いない。けれどもそれは何かから逃げているように思う。何かから、というのはおそらく「自分から」だ。

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