南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏は「何も心配するな必ず救う」「つれてゆくぞ」「ごちゃごちゃ考えんでいい」という意味で、「論理的」に言えば、自己の計らい=疑いが南無阿弥陀仏より先に浮かぶことはない。先手のお助けと言われるように、南無阿弥陀仏は思考以前に思考を否定するものであり、それを真受けにすると、信心になる。「聞く」だけでいい。思考以前にあるものを「無作」に聞けばいいんだけれど、人間は考える葦であるのでそれが少し難しい。
お前を今すぐ救う→OK これができればいいんだけれど、ごちゃごちゃ考えてしまう。思考以前のものに思考を付け加えてしまう。難しい。
なんかこういう風なアプローチより、もっと情緒的な、エモーショナルな宗教感情を喚起させるほうが大事な気がしている。まあ救いに方法なんてないんだけれど
お前を今すぐ救う→OK これができればいいんだけれど、ごちゃごちゃ考えてしまう。思考以前のものに思考を付け加えてしまう。難しい。
なんかこういう風なアプローチより、もっと情緒的な、エモーショナルな宗教感情を喚起させるほうが大事な気がしている。まあ救いに方法なんてないんだけれど
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