表現欲求
僕が「表現」に拘っているのは、それがもちろん「死」と密接に関係するものということもあるけれど、僕に猛烈な表現欲求があって、けれども自分にそれを許すことができない煩悶があるからである。
他者はどうか知らない。僕にとって表現は全く崇高なものでも高尚なものでもなく自己の発露と言ったものでもなく必然性というものでもなく他者への手向けと言ったものでもなくただ「共感されたい」「チヤホヤされたい」「あわよくばお金が欲しい」という下劣な欲求が形になったものに他ならない。僕はこの自分の浅ましく下等な欲求から目をそらして自分の「作品」を世に出すことができない。ツイッターで承認欲求丸出しでツイートすることすら僕の潔癖な意識にとっては許されない。あさましい!あさましい!あさましい!!!
むろん僕には才能もなく努力する根性もないのは承知だけれど、小説なら小説、音楽なら音楽、形式はなんでもいい、僕は一度ハマったらひたむきになれるという病気、個性を持っているので、上質な作品は作れなくとも、一度「ひたむき」になれるような状況に自分を置きたい。けれどもそうするためには、僕はこの浅ましい自分に対して敏感すぎるし、浅ましい自分を看過して表現をすることは、「許されない」。
表現欲求がある。けれど、それは僕に許されていない。一度、徹底的に勉強して、人の目に触れえるような物を作りたいという欲求がある。
もう一つあった。「結局死ぬから何をしても無駄じゃないか」という意識も、表現をすることを妨害している。僕は下劣な欲求を阿弥陀仏に許される必要があるし、永遠を掴む必要がある。
人生入門する必要がある。
他者はどうか知らない。僕にとって表現は全く崇高なものでも高尚なものでもなく自己の発露と言ったものでもなく必然性というものでもなく他者への手向けと言ったものでもなくただ「共感されたい」「チヤホヤされたい」「あわよくばお金が欲しい」という下劣な欲求が形になったものに他ならない。僕はこの自分の浅ましく下等な欲求から目をそらして自分の「作品」を世に出すことができない。ツイッターで承認欲求丸出しでツイートすることすら僕の潔癖な意識にとっては許されない。あさましい!あさましい!あさましい!!!
むろん僕には才能もなく努力する根性もないのは承知だけれど、小説なら小説、音楽なら音楽、形式はなんでもいい、僕は一度ハマったらひたむきになれるという病気、個性を持っているので、上質な作品は作れなくとも、一度「ひたむき」になれるような状況に自分を置きたい。けれどもそうするためには、僕はこの浅ましい自分に対して敏感すぎるし、浅ましい自分を看過して表現をすることは、「許されない」。
表現欲求がある。けれど、それは僕に許されていない。一度、徹底的に勉強して、人の目に触れえるような物を作りたいという欲求がある。
もう一つあった。「結局死ぬから何をしても無駄じゃないか」という意識も、表現をすることを妨害している。僕は下劣な欲求を阿弥陀仏に許される必要があるし、永遠を掴む必要がある。
人生入門する必要がある。
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